ウォルト・ディズニーと新聞配達
第1回コラム
- 2001年9月4日、ディズニーシーが開園。ディズニーランドに名を残すウォルトディズニーは、言うまでも無くミッキーマウスの生みの親で稀代のプロデューサーです。しかし、27歳でミッキーマウスを生み出すまでは決して順調な少年時代ではなかったようです。その苦労の少年時代にウォルトディズニーが新聞配達を6年間していたことを知っていますか?
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アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティで新聞販売店を経営するウォルトの父は自分の息子たちに新聞配達を手伝わせた。午前3時半に起き一軒一軒、配達をする10歳の少年ウォルト。ミズーリは南東部とは言え冬の寒さは厳しい。ずっしりと重い新聞を抱え、毎日毎日休み無く配達する日々。
父親の経営を助けることとはいえ、何かがないと長く続けられる事ではないだろう。
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ある新聞社が言っている。新聞配達は最終ランナー、アンカーだと。駅伝競争では、アンカーがいないと目標であるゴールには到達できない。
新聞配達も同じ。新聞配達を最後に支える配達員がいるからこそ日々新聞を待つ読者へ大切な「こころ」が届けられる。大切な使命を帯びた仕事なんだ。
だから、ウォルトディズニーはその責任感や達成感を将来の自分への財産だと思っていたんじゃないかな。
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新聞奨学生を目指すみなさん、現在がんばっているみなさん、誇りと責任を持てる仕事に携われることを喜びとしてください。
新聞奨学生ガイドは皆さんを応援します。
- *新聞配達をした著名人を知っている方はぜひ編集部までお知らせ下さい!
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