欽ちゃんと新聞配達
第2回コラム
- コメディアンとしてテレビや舞台で活躍する萩本欽一さん「欽ちゃん」。キャイーンや小堺一機さんの師匠にあたる萩本さんが、大きな家に住むことが夢だった少年時代にどんな苦労をしていたのか、みなさんはご存じですか?
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10代のはじめ父の会社が倒産し、借金取りが取り立てに家に来る。親に苦労をかけまいと中学を出たら働くことを決意する萩本欽一さん。コメディアンに弟子入りしたが進学した高校の学費はすべて自分で稼いだ。学校の勉強、コメディアンの修行、そして新聞配達など学費捻出のためのアルバイト。苦労の高校時代だったが、毎日毎日休み無く新聞配達をしながらも「ウキウキしていた」萩本さん。どうして?
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ある新聞社が言っている。新聞配達は最終ランナー、アンカーだと。駅伝競争では、アンカーがいないと目標であるゴールには到達できない。新聞配達も同じ。新聞配達を最後に支える配達員がいるからこそ日々新聞を待つ読者へ大切な「こころ」が届けられる。大切な使命を帯びた仕事なんだ。
だから、萩本欽一さんはその責任感や達成感を「大きな家に住み親に楽をされられる」夢の実現のための原動力にしていたんじゃないかな。
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夢を実現させようと新聞奨学生を目指すみなさん、現在がんばっているみなさん、誇りと責任を持てる仕事に携われることを喜びとしてください。
新聞奨学生ガイドは皆さんを応援します。
- *新聞配達をした著名人を知っている方はぜひ編集部までお知らせ下さい!
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