独立の条件は新聞配達をすること 歌手 石原詢子さん
第9回コラム
- 艶っぽい声が魅力の人気演歌歌手石原詢子さんが生まれたのは、1968年岐阜県揖斐郡池田町。父は詩吟揖水流の家元で、4歳から詩吟を厳しく仕込まれ、12歳で師範代になった。その石原さんが、父の引いたレールの上を走ることに疑問をおぼえ、自分の夢を探していた頃に聞いたのが石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」。上京して演歌歌手になりたいという彼女に、厳格な父が最後に許した時、つけた条件が「自活、新聞配達、毎日の連絡」だった。
新聞配達店で定められた、4畳半一間のアパートで、毎日の新聞配達のほかにも様々なアルバイトをしながらヴォイストレーニング、踊りや芝居のスクールに通う毎日が始まる。そして、早くも上京2年後には幸運なデビューをするが、その後ヒットが出ず、全国各地のカラオケスナック、喫茶店を回る日々が続いた。
しかし、苦しい生活の中でも「歌うことが本当に好き」と頑張る石原さんにデビュー6年目の1994年、「夕霧海峡」15万枚というヒットが生まれ、2000年には「みれん酒」で紅白歌合戦に出場を果たし、今は、コンサート、テレビ・ラジオへの出演と活躍を続けている。
強い独立心と、負けず嫌いの努力が歌手石原詢子を誕生させたのだろうが、厳しい父のつけた上京の条件、「新聞配達」をした日々がその歌心に反映しているのではないだろうか。
そこには、厳格さの中に深い愛情がこめられていたに違いない。
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夢の実現に向かってひた走る新聞奨学生にとって、今のこの時が必ず将来のための糧となるだろう。新聞奨学生ガイドは君たちを応援します。
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出典:石原詢子 オフィシャルホームページ HISTORYより
- *新聞配達をした著名人を知っている方はぜひ編集部までお知らせ下さい!
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