雨ニモマケズ新聞配達20年|キリスト教伝道者 斎藤宗次郎
第22回コラム
- 宮澤賢次の有名な詩「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」のモデルといわれる斎藤宗次郎は1877年岩手県花巻市に生まれた。小学校教諭をしていたが、無教会主義キリスト教者の内村鑑三に影響を受け、生徒に聖書や内村の日露非戦論を教えたため退職せざるおえなる。
それから20年間、宗次郎は新聞配達をして清貧の暮らしを送った。新聞配達を天職と感じ東京朝日や万(よるず)新報など十数種類、20キロ以上の新聞が入った大風呂敷を背負い、駆け足で配達したという。それだけでなく、配達や集金の際、病人を見舞い、悩みや相談を聞き、道端で遊ぶ子供たちに菓子を分け与え、地域の人々に慕われた。そのため、内村鑑三のもとで伝道者となるために上京する時には、駅に200人以上の人が見送りに来た。宗次郎は、晩年、多くの弟子に裏切られた内村に終生つくして、その最後を看取った。
宮澤賢次は日蓮宗の信者だったが、宗派を超えた交流があった。集金に行った時、招き入れられ一緒にレコードを聴いたりした話が宗次郎の日記にみられる。賢次の散文詩「冬のスケッチ」にも宗次郎を模したらしい「加藤宗二郎」という人物が登場する。そして、「雨ニモマケズ」の詩の中に新聞配達をする宗二郎の姿を重ねる人も多い。
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今、「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」新聞を配っている君たちも、その日々に経験すること、人々とのつながりがきっと将来の糧となるだろう。新聞奨学生ガイドはそんな君たちを応援しています。
- *新聞配達をした著名人を知っている方はぜひ編集部までお知らせ下さい!
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