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トップモデルにして、タレント業などにも才能を発揮|アンミカ

第39回コラム

  •  アンミカさんはモデル・タレントを本業に、ジュエリーデザイナー、化粧品プロデューサーなど幅広く活動している。美容に関する著書も多数で、2月27日には『アン ミカのポジティブ美容事典』を出版。また、TBSテレビ『サンデージャポン』や日本テレビ『人生が変わる1分間の深イイ話』といったバラエティ番組に出演するなど、マルチな才能を発揮している。
  •  アンさんが新聞配達をしていたのは中学1年から高校3年までのこと。幼いころにお母さんが重い病気にかかり、その治療費にお父さんの収入のほとんどが消えてしまうという危機が訪れる。そんな状況のなか、家計を助けようと先に新聞配達をはじめたお兄さんに、アンさんもならうことにしたという。「通塾に必要な月謝や、部活にかかる費用などを新聞配達で捻出していました。お金がないためにやりたいことができないのを親のせいにしたくなかったんです。新聞配達をはじめたのも、月2000円のそろばん教室に通いたくなったからでした」とアンさん。
  •  中学1年から、朝3時30分~4時30分に起きて新聞配達をこなし、翌朝に備えて21時すぎには眠りにつくという日々を送る。6年間、陸上部に所属して練習や試合にも励み、それと並行して15歳からはモデルの仕事もはじめた。ふつうに考えれば大変な毎日だが、「5人兄妹の3番目でしたが、兄妹みんなポジティブでそれが当たり前になっていて、効率よく新聞配達や家事、勉強をやるルールづくりなんかもしていましたね」と、あまり苦にしなかったそうだ。「朝ちょっと早く起きて、学校の授業の予習ができて、部活の朝練もやれて、そのうえお金も稼げるなんて1石3長ぐらいに思っていた」というから驚かされる。なお、部活を続けるために、夕刊の仕事には手をつけなかった。
  •  唯一、アンさんが辛かったというのは、冬の寒さ。学校の掃除当番の雑巾がけを冬場は特別に免除されるほどのしもやけ症で、大雨や雪の日には正直、配達をサボりたくなることもあったという。アンさんがくじけないように「皆勤賞は月プラス2000円」と手当てをつけるなどして励ましてくれた、販売所のご夫婦の温かみが今でも忘れられないそうだ。
  •  新聞配達を通じて感じたものとして、人の温かさは大きいという。あるときは、新聞の遅配に対して「配達担当者に会わせろ」とクレームをつけてきた高齢男性が、中学生のアンさんの姿をひと目見るや、態度を急変させ、すまなさそうにヤクルトをくれた。また、他社の新聞の配達員が自動販売機のコーンスープやココアを買ってくれたこともたびたび。「当時の私にとって、100円の飲み物がどれだけ贅沢なことだったか!」という時代の話である。
  •  親への感謝の気持ちも口にするアンさん。お金を稼ぐことの大変さを学び、それは自営業に近い今のモデルという仕事にも通じるものがあるという。小学生のころは朝に弱かったが、新聞配達で朝型人間になったことも大きなプラス。現在も「夜10時には眠くなります」と夜更かしはしないそうだ。配達員になってはじめた新聞を読む習慣も続いている。新聞を読んで世の中に必要なものを自分なりに見定めて、「漢方養生指導士」「化粧品検定1級」など、社会に貢献するため19もの資格を取った。
  •  そんなアンさんから新聞奨学生のみなさんに「新聞配達は、すごく社会の役に立つ尊い仕事だと思います。私自身、新聞配達をしていたとき、自分の仕事に誇りを持っていました。今はネットで簡単に情報が得られる時代ですが、お年寄りなどネットをうまく使えない人々に新聞を届けるというのは、どんなに意味の大きい仕事でしょう。ロボットにはできない、誰かがやらねばならないことをやっているのだという気持ちでがんばってください」との言葉をいただいた。
  •  新聞奨学生のみなさんも、何かくじけそうなときは自分の仕事の意義に思いを馳せ、自身を奮い立たせるのもいいだろう。
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